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ビットコインが好きです。

ハイエクとビットコイン


「賢人が晩年の20年ほどの間、世界を高所からながめて、これまで彼が蓄積してきた知恵を用いながら、世の中を正しい方向に導いてくれている。これはまったくの幻想だった」
-キャリー・マリス 『マリス博士の奇想天外な人生』

ビットコインは世界の経済構造を抜本的に変えようとしている。本記事では、ビットコインがもたらす経済的・政治的なインパクトを、ハイエクの思想を通して考察する。

進化する貨幣

携帯が年々使いやすくなっていくのは、人が自分の使う携帯を選ぶことができるからである。それぞれの人がそれぞれの価値観に基づいて携帯を選択することをである種の集合知が形成され、結果的にクオリティーの低いものが淘汰される。

一方、僕達は自分の使う通貨を選ぶことができない。パン一切れにカバン一杯のお札が必要になるような酷いインフレが起こったとしても、他の通貨に移ることはできない。どんな酷い失敗をしても、中央銀行は淘汰されない。
このような構造に対する批判は昔からあり、経済学者のフリードリッヒ・ハイエクは、1976年に出版した「貨幣の脱国営化論-共存通貨の理論と実践の分析」の中で、貨幣の発行権を政府が独占している現状を批判し、貨幣の供給を民間銀行に委ねるべきであると主張した。


通貨の選択権がないということは、通貨というシステムにフィードバックが存在しないということを意味する。フィードバックの無いシステムは進化しない。政府が貨幣を発行すること自体が悪いのでのはなく、政府が貨幣の発行権を排他的に独占していることが問題なのである。ハイエクがいうように、

「政府が提供する貨幣を使い続ける他選択肢がないという状況において、政府がさらに信頼に値する存在になるという望みはない」*1

のだ。

ビットコイン以前、貨幣を発行するためには信用が必要であり、信用のためには権威が必要であった。このことにより、もっとも強力な権威を持つ政府が貨幣の発行権を独占する状況が必然的に生まれた。ビットコインはこの独占構造を解体する。ビットコインの発明により、なんの権威も信用もない無名のプログラマが、サトシ・ナカモトが開発したように、通貨を開発できるようになった。

もはや貨幣を政府に縛り付けていた鎖は解かれたのだ。

今、ビットコインのテクノロジーを元にした暗号通貨が次々と生まれていて、その数は600種類にも及ぶ。そして電子的であることにより、暗号通貨にはこれまでの紙の通貨では実現できなかったような多種多様な機能を組み込むことができる。たとえば、FreiCoin*2という通貨がある。この通貨は、不景気の原因は人が通貨を貯めこむことにあり、人が通貨を貯めこむのは通貨が腐らないからであるという経済学者シルビオ・ゲゼルの考えに基づき、通貨にマイナスの利子を組み込んだ。このようにそれぞれ独自の機能や思想をもった通貨が次々と生まれている。


人類は少ない変数で制御できる機械的なシステムを操ることは得意だが、どのような変数があるのかも把握できない生命的(複雑系的)なシステムを制御することを苦手にしてきた。結局、このような生命的システムをトップダウンに「設計」しても無駄で、ボトムアップに「進化」させるしかない。そして、貨幣システムはまさに後者に属する。ビットコインが切り開いた仮想通貨の広がりにより、ハイエクが思い描いたような、併存する無数の通貨が競争を繰り返しながら進化する社会が実現されようとしている。

中央銀行の黄昏

さらに、ハイエクは貨幣発行権が国家の独占から解かれることにはもう一つ重要な作用があると指摘している。彼によると、

「政府は人民の代表によって委ねられた手段のみを使用するよう厳格に制限されるべきであり、人民が政府にもたせることを合意した範囲を超えてその資源を拡大できる能力をもつべきではない。現代の政府の拡大は、政府発行によって赤字を補填するという可能性によって大部分助長された。」*3

のであって、

「政府が使用する追加的貨幣を供給する蛇口から政府を切り離すことは、無制限の権力を備えた政府が本来持っている無限に拡大しようとする傾向を止めるためにはきわめて重要である」*4

というのだ。

ここでハイエクが言っていることを、今の日本の財政状況を通してみてみよう。いま、日本の財政赤字はとどまることを知らずに膨張してる。収入を大きく上回る公共支出が当たり前のように行われ、足りない分は赤字国債によって補填されている。このような国債の大量発行が可能なのも、政府が貨幣発行権を独占しているからである。政府が国債の支払いや、その利子の支払いに困ったら、貨幣を発行し、その貨幣を支払いに当てればいいというわけだ。麻生財務相が「日本は自国通貨で国債を発行している。(お札=日銀券を)刷って返せばいい。簡単だろ」*5と発言し話題を呼んだが、ここまで直接的ではないにしても、政府の根底にはこのような考えがある。

しかし、貨幣を増発することはインフレを起こし、インフレは国民の保有する貨幣の価値を下げる。よって、国債を刷って収入を得る→貨幣を発行して返す、という永久機関的過程の裏には、国民から政府(及び国債を保有する一部の富裕層)へと富が移転する回路が存在する。しかも、この回路は知覚されない。増税には大きな抵抗が伴うので、政府はその必要性を国民に説明し、説得しなければならないのに対し、国債の発行は民主主義的なプロセスを踏まずに一方的に行えるからだ。

貨幣発行権の独占は幾度となく国家権力の暴走の原因となってきた。例えば、第二次世界大戦前のドイツや日本は、国債の大量発行とインフレにより国民の財産を全て吸い上げ、国家予算の限界を超えて軍備を増強した。貨幣発行権を握った政府は、その気になれば一方的に国民の財産を完全に掌握できる。国民の三十分の一が戦死するような、あの歴史的にも特異な「総力戦」の数々は、貨幣発行権の独占なくして行えなかったのだ。

政府権力は膨張する。リンゴが地面に向かって落ちるように、エントロピーが増大するように、政府はその権力を膨張させる。それは国民のために膨張するのではなく、膨張するために膨張する。政府はコントロールできれば非常に便利なツールになるが、正しく制御しなければ自己目的化してしまう。人類は歴史からこのことを学んだので、政府が国債の発行を乱用しないよう財政法で赤字国債の発行を禁じている。しかし、政府に国債の発行を乱用しないように期待することは、麻薬を目の前にした麻薬中毒者に自制心を要求するようなものだ。実際、日本政府は公債特例法という法律を通し、"異例の処置"として赤字国債を毎年発行している。

これまで政府が不用意な国債発行など信頼できない金融政策を行ったとき、国民は指をくわえて眺めることしかできなかった。そして政府はこの独占構造の上に安座し、安易な、大衆の利益に反するような金融政策を数多く行ってきた。貨幣発行の独占は国民の合意を介さない巨大権力の温床となってきたのである。


ここで登場するのがビットコインである。ビットコインは政府の膨張メカニズムを停止させる。国民は貨幣の選択権を獲得し、政府の貨幣政策に対し、ビットコインを使うというNOを突きつけることができるようになる。政府は政府貨幣を使ってもらうために努力をしなければいけなくなり、安易なインフレを起こせなくなる。つまり、政府貨幣はビットコインと競争せざるを得なくなり、この競争が政府権力の暴走への歯止めとなるのだ。


僕達は巨大な組織ピラミッドを目の前にしたとき、そのピラミッドの大さを、そのピラミッドの頂点にいる人々の能力の大きさへと投射してしまいがちだ。そして、ピラミッドの大きさから推し量った能力に基づき、卓越した知性と完璧なモラルを持ち合わせたエリート像を自らの内側に創りあげてしまう。確かにこのようなエリートが存在するのであれば、彼らに全てを任せておけば効率的な貨幣システムが構築され、その権力を乱用される心配をする必要もない。しかし、このようなエリートは虚構である。

巨大な組織の頂点にいる人達も、結局は僕達と同じ人間だ。彼らは先のことをわかっているように振る舞い、自分たちに任せるのが最善であることを当然とするが、当たり前の人間的限界をもっている。そして、この人間的限界の内側にいる限り、経済のような複雑なシステムの全体を把握し、設計することは不可能である。サブプライム危機も、原発事故も、二度の世界大戦も、すべてこのトップの人間的限界から生じた。正確にいうと、全知全能性によって装飾された人間的限界である。人間的限界があるのは当然であるが、それを装飾して隠すことに問題の本質がある。

暗号通貨経済は、全てを掌握し、全てを決定する権力を前提としない。暗号通貨経済は上意下達を否定し、人々のミクロな選択の積み重ねを肯定する。もちろん大衆の選択も完璧ではないが、少なくとも一部の人の揺らぎに依存するシステムよりはマシなのではないか、ということを暗号通貨は示そうとしている。


参考文献:
F.A.ハイエク. ハイエク全集第II期第2巻『貨幣論集』(池田幸広え・西部忠訳、春秋社)
岩村充 「貨幣進化論―「成長なき時代」の通貨システム」(新潮選書)
森村進 「自由はどこまで可能か―リバタリアニズム入門」(講談社現代新書)
ジャック・アタリ 「国家債務危機ソブリン・クライシスに、いかに対処すべきか?」(作品社)